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執筆者の写真takujiotsuka

winter again

稚内から南に12Km離れたところに人口290人の大字抜海村があり、

稚内市に所属する町のひとつです

集落として江戸時代の文献にも抜海の名があり歴史の古さが伺えます

その抜海には無人駅としては日本最北に位置する抜海駅があるのですが

2021年度は現状維持で存続することが決まりましたが

2022年度以降の存廃については現在も決定していません

あらゆる面から協議して存続を模索していただきたいです


2008年に抜海方面を歩いて写真を撮ってみました

宗谷地方は日本海とオホーツク海に挟まれ海産物の宝庫ではありますが、激しい海流の流れとともに突風が凄まじい勢いで襲いかかってきます

冬は北海道有数の吹雪地帯と化します          その中を歩いてみました



10分ほど歩いてみましたが、吹雪が酷くなり抜海駅に引き返しました

稚内行きの本線は2時間後という事実が発覚し、ただひたすら椅子に座って暖をとるだけでした



気を抜くと命を持っていかれる寒さというものに、極寒の吹雪に身を置いて

やっと思い出されました


稚内宗谷丘陵には自衛隊の高性能レーダー基地があります

1983年に起こった大韓航空機撃墜事件で航路を外れた007便を観測しており、ソ連の戦闘機が「ミサイル発射」のメッセージを受けたのを基地レーダーが傍受していたのが有名な話です

現在は分かりませんが冷戦時代ソ連の領空侵犯は凄まじかったようです

幾度となくスクランブルがかかり千歳基地から自衛隊の戦闘機が発進します

性能の劣る自衛隊戦闘機を囮に本州方面から米軍戦闘機がスクランブルするそうです

自衛隊機は時間稼ぎに使われるわけですが、米軍機が到着するまでの数分間、劣勢条件でソ連機と攻防しなければならない憤慨さを元自衛官「挽歌」のマスターが話を聞かせたくれました

旧海軍大湊海軍通信隊稚内派遣隊幕別送信所跡「赤レンガ通信所」が恵北にあります

昭和16年12月2日17時、真珠湾攻撃の暗号電文「ニイタカヤマノボレ一二○八」が発信された場所です

日本最北の戦争遺産を後世に残していこうとする活動も日々行われています


19歳の頃何故か私はサウナにはまっていました

南稚内駅に隣接してるホテル宗谷のサウナに多い時は週3回通っていました

このホテル宗谷のサウナが他と違うところは、とにかく想像を絶するくらいの

高温サウナだということです

通常95℃くらいが高温と呼ばれ100℃となると都内でもあるかないかくらいの

珍しい高温サウナだと思います

しかしこのホテル宗谷のサウナは常に110℃です

室内テレビはなく、その代わり雑誌を持ち込めます

サウナ入り口にシワシワの週刊誌や漫画が並べられ、それを手にサウナ室に入ります

私は新参者で常連客は年季の入った5、60代のおっちゃん連中です

110℃の中で漫画を読みきって出るのが暗黙のルールみたいなのがありました

途中退出すると負けみたいな感じす

ガマンできず退出する時「もうダメだ〜」と声が出てしまうくらいです

まさにサウナ道でした

一度長老みたいなおっちゃんと勝負した時がありました

私は25分入っていてギリギリ勝ちました

しかし上には上がいました

ロシア人です

ガラの悪い船乗りでした 何人かで入ってきてサウナの中で大騒ぎしだしたのです

うるさい奴らだな〜と思ってチラッと手元を見ると缶ビールを持っていました

さすがに110℃の中でビールを飲む奴らにびっくりして声も出ませんでした

世界は広いんだと初めて感じた日でした

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