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My mother's cooking.

Takuji Otsuka




誰しも母親の手料理は忘れられないものでしょう                          

私が母の手料理で一番思い出すのは塩辛と漬物です

まず塩辛なのですが店で売ってる塩辛とちょっと違います

多分地元で塩辛を手作りする家庭のお母さん達はそれぞれ味が

違ってると思います

私の母の塩辛はイカの肝を入れてるのが特徴です

隠し味ではなく肝の味が前面に出てます

その肝の生臭さを擦った生姜でおさえてるのですが

このバランスが絶妙です

既存の塩辛はやはり保存食なものですから塩を大量に使い

味も塩辛いのですが、母のは生姜の辛味が効いていてちょっと辛いんです

塩も肝から出る塩分だけなので保存には向きません

そして大塚家で食するのは実は私だけでした

父親も姉妹も生臭いと言って食べることは稀でした

色もちょっとグロいので私も人にオススメすることはありませんでした

今では幻となりました


次に漬物です

母の漬物は韓国のキムチがベースとなっています

その理由はというと、母は戦時中日本統治下の満州国に生まれました

牡丹江という国境に近いということもあり朝鮮人と交流があったそうです

そこで祖母が朝鮮漬けを教わり母が受け継いだということを聞いた覚えがありました

今でこそカクテキもスーパーで売ってて珍しくもない代物ですが

私の子供の頃は冬に食べられる母の手料理の一品で、どこにも売ってませんでした

今では見かけませんが当時、地元の風物詩で冬に向けて大根を干す家庭が多く見受けられました 

これは大根を漬けるため最初にする工程なのですが、母はどこの家庭よりシワシワにるまで干していました

水分がなくなるまで干した方が味が浸みるのかはわかりませんが、まるで脱水にかけたスポンジ並みにカッサカサな肌触りでした

もう執念にも近く干された朝鮮漬けが母の味というけです

またニンニクも入ってるので姉妹には不人気でした

母も年を取ると徐々に作る気も無くなってきたのでしょうか 

食卓に上ることはなくなり姉妹も母の味を受け継ぐことなく年月が過ぎて行きました

晩年の母を見て私が母の味を受け継ごうと思い立ったときがあったのですが

時すでに遅し母はリウマチの治療で毎日20種類以上の薬を飲んでいて味覚もおかしくなり体力的にも味の再現は不可能な状態でした


もう一度食べたいなぁと思っていても叶うことはないのでしょう

2008年に一度母の手作り料理を写真に収めた時がありました

魚のエゾメバルとラーメンとしじみの味噌汁とたくあんです

何だかいい思い出です






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Takuji Otsuka|アート、写真家、コンセプチュアルアート、20世紀写真

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