​Manchukuo

1931年月18日以降の満州事変の直後に、最後の皇帝である溥儀を担ぎ出して中国東北部にあたる旧満州に満州国を建国し、日本の内地から32万人以上の開拓民を送り込んだ満州への移住計画の「満州開拓移民」が実行されました

当時の世界恐慌から引き起こされた昭和恐慌により疲弊しきっており、農業従事者の移民志向も高いことから大規模な移民となったということです

その開拓民の中に祖父祖母がいて私の母が牡丹江で生まれました

祖父は営林署に勤めてましたが、戦争が激化し兵役に取られていきました

人手不足を理由に40歳を過ぎてからの出兵で、祖父は日本の負けを悟ってたそうです


結局満州国は誕生から僅か13年で滅亡し、中立条約を破棄したソ連が進行してきました

民間人は徒歩で避難するしかなく集団で遼島半島を目指したのです

ここにソ連軍が進行し、日本人は収容所で数年間足止めされたということです

この避難の最中に身寄りがなくなった日本人は、幼児は縁故または人身売買により中国人の養子とし残留孤児となり命を繋ぎました

集団引揚げは1946年春から実施され葫芦島の港から100万人以上の日本人が帰国しました

この時生まれた中国残留日本人孤児は日中国交正常化を機に1981年から1999年11月まで

30回で2116人が肉親との血縁関係確認に訪日しました

この様子はテレビでも放送され、母は毎回食いるよう見ていました


母の手料理の1つに鶏めしがありました

鹿児島県奄美群島で作られる郷土料理ということもあり、北海道の他の家庭ではまず出ない料理です

なぜ母がこの鶏めしを作れるのかずっと不思議でしたが、葫芦島を出発した船は九州の港に到着したとあります

この期間で祖母が覚えたのを母が受け継いだのだろうと想像することができました



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