flower funeral
My precious oneの前身作品がflower funeralです
儀式を通して日本人のアイデンティティの源流を模索し
個人的な不在の物語の実在という文法を使い
深い悲しみから抜け出るためにかかる時間の長さを語る
これをアートブックというジャンルで試みようと考えました
「黄金より美しいもの」
ツタンカーメンの発掘に生涯を賭けた男
ハワード・カーターの話に惹かれたのが発端です
1924年2月12日 王の墓であろう厨子の解体がようやく終了し
石棺の蓋が持ち揚げられました。
石棺の中に少しずつ光が注がれ古びた布を慎重に取り除くと
眩しい光景を目にした。
若い王の姿をした光り輝く黄金の人形棺が横たわっていたのである。
「死後も有在する崇高な雰囲気を感じた。
深い畏敬の念に満ちた静寂が墓内を支配し、時が止まったように感じた。」
学者たちから感嘆の声が漏れた。
しかしカーターは別のものに目を奪われた
それは棺の上にそっと置かれていた小さな花束である。
カーターはこの花束を少女の王妃が夫に向けた最後の贈り物と考えた。
「墓はいたるところに黄金に包まれていた
どの輝きよりも、そのささやかな花ほど美しいものはなかった」
と回顧しています(Japan Journals online ジャーニー)より
花にはそういう力があるのです
移ろい、儚さを表現するためにかかる時間の長さを語る
不在の物語の実在問う文法を用いるということは
答えは一つではないということ
答えは一つに絞らないということでした
