top of page
Search

マン・レイと女性たち レビュー

なぜ今マン・レイを観るべきなのか


Bunkamuraザ・ミュージアムで開催中「マン・レイと女性たち」は

5人のミューズとの関わり合いを通し、女性賛美に悦びを見出したマン・レイの人生を

考察する展示となっている

女性と日常的にいることによって自らの弁証法とするマン・レイの暗室技師としての顔が

浮かび上がってくるのだが

マン・レイの内面を解くためマン・レイと名乗る以前まで遡ってみると

実は家族や母親のことが重要であったとの仮説が立てられた

するとそれまで謎に包まれていたマン・レイの芸術家としての人物像が劇的に変化して

見え始める




マン・レイは(本名エマニュエル・ラドニツキー)は、

1890年ロシア出身のユダヤ系の両親の子としてフィラデルフィアに生まれる

母マーニャは長男であるエマニュエルを大切に育てた

一家は1897年にフィラデルフィアからニューヨークに移り住み仕立屋を開業する

1912年一家揃ってレイと改名した際、エマニュエルはマン・レイと名乗り始めた

母マーニャは優秀で頼りがいある長男レイを一家の支えとして期待していたが

幼少の頃より関心があった芸術家を志し働きながら絵を描くことを決めたレイに対し

母は激怒する

一人で家を出てその後も家族とは疎遠のまま、1945年母マーニャが亡くなった時も

マン・レイは葬儀に参列しなかったという

過去を全て捨ててしまったマン・レイは「こころよりも物である」という芸術的身振りを

始めることとなった


ダダイズムや芸術家村への参加体験によってキャリアを上げていったマン・レイは

1910年頃ニューヨーク5番街291に画廊「291」を開いた写真家アルフレッド・

スティーグリッツの画廊に出入りし影響を受ける

マン・レイ自身も自分の絵画を写真に撮り始める

この時期 最初の妻である年上の詩人アドンと知り合い 彼女から「詩的」で奥深い言葉の

組み合わせに未知なる実験の新しい刺載を感じ「ダダの中の女性」に傾倒していくことと

なる

セックス、ジェンダー、アイデンティティーに関する論集の編集者ナオミ・サウェルソン=ゴースはダダの指向対象として男親、父親、家長が欠けてると指摘している



この父親の不在という観点を余剰的に感じながら、シュルレアリスムへの流れを読み解き

つつマン・レイの言動と写真を表題にテーゼとして「芸術写真とは」その行方を考えてみる


わざとらしさや表現主義の後はデカダンスの潮流があった

その小川は愛と真剣に取り組む姿勢としてシュルレアリスムが本流となりパリの土着性

そのものとなった

それは革命的ニヒリズムであり、それが目指すものは戦闘前や戦闘後の朝だった

人生は目覚めと眠りの間にある敷居が踏み込まれた時のみ、生きるに価すると思われたからだった

無意識への没入がカギであって「心的オートマチスム」がシュルレアリスムの本性なのだ

シオニズムと共産主義の間の動揺に人々は熱狂する


パリに渡ったマン・レイの知名度は高い芸術家ではあったものの、身振りや言動は煙に巻いていた

写真が芸術であるか否かという問いにマン・レイは「写真は芸術ではない」を1936年に

出版する

マン・レイは写真を理解する上で、オートマチスムとレアリスムを関連づけて述べている

「何を撮るか」ではなく「どのように撮るか」ばかりを心配し、近視眼的に盲目的に行なう技術ではなく「何を」という主観が重要とマン・レイは語る

マン・レイの撮る写真をシュルレアリスム的写真として読むように導き、

彼の写真全体のキャプションのように機能し始める


1910年ごろからピクトリアリスムの写真に芸術的価値を賦与しようとする運動があったが

マン・レイはこれを否定する

手業が重要ではなくオートマチスムによって何を表すのかというものが重要だった

シュルレアリスムのレントゲン写真 レイヨグラフは「光と影の純粋な実験」であり、

無意識に撮られ その語られる文脈の相似はあるとし、工業革命的フォトグラムを表現としての写真と区別した

マン・レイはオリジナルであることを模索し、他との断絶を意味するモダニズムによって

現在と芸術の一致を目指した


まるでシャツを取っ替え引っ替えしてしまうくらいの自由度で

マン・レイはシュルレアリスムを利用し、写真を利用した

それは美術史、芸術倫理を飛び越え芸術環境からはみ出る私生児としてのマン・レイの姿が浮かび上がってくる


作品そのものに芸術的価値があるかどうかは想像力に依存する

それは難破船の中で「出口」を探すようなものであるのだ


振り返るとポートレートを撮ることによって社交界に出入りしていたマン・レイ

パリの都そのものであるシュルレアリスムへの没入が感じられ

写真から時代の動揺、こともの世界の見取り図を見ることができる


はったりではないマン・レイの熱狂的な努力から生まれた私写真であり

「無駄に生きたと 思わせないでいてくれる」のだ




参考文献 マン・レイと女性たち 平凡社 監修・著 巌谷國士

     ダダイズム-世界をつなぐ芸術運動 岩波現代全書 著 塚原 史

     マン・レイ-軽さの方程式 三元社 著 木水 千里

     シュルレアリスム 東京晶文社 著 Benjamin,Walter

2 views0 comments

Recent Posts

See All
bottom of page