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野口里佳 不思議な力 review

本展のレビューを書くにあたり、私は2回「野口里佳 不思議な力」展に足を運んだ

井の頭線に揺られ渋谷駅で下車し、明治通りを恵比寿まで歩きながら、

展示を観ることの意味を考えてみる

思うに大多数の人間は写真表象に圧倒されたり、協調、感動したいからだろう 

感動という部分で、私は切実にそう思う

展示を観終えた後の満足度や安堵感など感じると、来て良かったと素直に思える

そして自らも写真に一層邁進しようという活力に繋がり、姿勢を正すきっかけにもなる

本展は写真の表象にとどまることのない、行為の先にある未来感覚を味わえる内容となっていた。


冒頭の展示では、具象の力学や現象を同じ型を踏襲し伝えている

どこか実際に現れてきたシーンの始まり、気配によって醸し出す光景というのは

主人公は何であるという示唆と、眼差しの冒険の同時性を描こうとしてるというような

そういうものだろうと考え始める。


次の「父のアルバム」の章に進むと

どうやら私の思う「不思議な力」とは違うらしい事がわかってきた

「父のアルバム」に際して書かれた文章に、60代男性が喰いるように読んでいた

私は2度この展示を見た

その2度とも、先に着てた年配男性が文章を熱心に読んでいたのが、とても印象的だった。


振り返ってみると、私たち世代は写真業界に尽くして生きてきたものの

冷笑時代のど真ん中に身を置くポスト団塊世代である

50代近くともなれば仕事量を抑えたり、自分時間も増えてきた今日この頃、そんな折に

野口さんは父の遺したネガとの協演を始める

それは文学的な事象の始まりでもあり、野口里佳的内省ロードムービーを匂わせる。


父親から永続的な表現を受け継ぎ、プリントされた写真からは「時間とは実に詩的」だと

いう見出されたものが発信され、統一感の強度を増していた。


写真には自分を憐れむというような贅沢が残されてる

この贅沢がなければ、人生なんていうものに堪えられない場合もあるのだ

もはや誰の言葉か忘れたが、その言葉が一瞬ぼんやりした私の心を占める。


自分をゆらゆら揺らしてみると、揺らした先に新たな世界が見えるように

そんな風に、父のアルバムは作られていったのだろうか

身内の写真を扱うことは、非常に魅力的ではあるが、同時に危険な行為でもある

人間と被写体の関係性

写し込もうとすればする程、場所を持たない無関係さが浮かび上がってくるからだ

共にありたいと願う 二律背反は

研ぎ澄ましたイメージ感覚というよりは、むしろ言語感覚の受容が必要である。


肝据えた先に、限界があり、理性が入り混じり、狂気が入ってくる

写真を一旦離れてみると詩が飛翔する


気持ちをそこに(その場所に)置いてくる

状態と動機の接触点である「決意」は世界のあり方を説明し、アポステリオリに与えられる



不在物を呼び出すために作られた言葉という仕掛けが、写真とのあいだに共犯関係を結ぶのは避けがたい事実である          

                    写真との対話 近藤耕人/編著 管啓次郎/

                    スーザン・ソンタグ/[ほか]

                    出版社 国書刊行会



上記に挙げたように、写真と言葉にまつわる相互補完、揺さぶりはいくらでも見つかる

父のアルバムが完成された事実というのは、少なからずこうした「間 」錬磨が行われた

はずである。


そして「不思議な力」は変化し、最近の写真も展示されていた

アオムシやらクマムシ

滅び易い昆虫たちの世界 彼らもまた命懸けの脱皮を、それぞれが静かに繰り返している

その自然世界にむけられた暖かな眼差しからくる 観察眼というのは、

まっとうな人間の後ろ姿であり、


「この道で行く」というような、写真家の新たな決意からくる颯爽とした足取りが聞こえてくるようで、感動を覚えた。


東京都目黒区三田1-13-3 恵比寿ガーデンプレイス内

2022年10月7日(金)~2023年1月22日(日)




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