現在、練馬区立牧野記念庭園記念館 企画展示室にて
樺太の植物と風景 - 牧野富太郎と船崎光治郎 -展が行われています
本展は植物画家・版画家の船崎光治郎と植物分類学者牧野富太郎との
交流にスポットを当てた展示構成となっています
また、船崎が樺太に魅せられ足繁く通った樺太原産の様々な花々を写生した
植物の図と解説が見所となっており、「図説樺太の高山植物」上巻の原画や
「樺太名勝八景」の下絵が初公開されていました
船崎光治郎の生涯
兵庫県出身(1900年-1987年) 京都で日本画を学び上京する
1926年 冬に北国へ2か月旅行に出かけ、樺太まで足を延ばす
やがて「図説樺太の高山植物 」上巻「高山花譜」を戦後に武田久吉と
共著で刊行する
船崎は樺太の風景にも魅せられ「新日本百景 海馬嶋烏帽子岩」
「樺太名勝八景」を制作した
樺太の最初の印象について
船崎は後年「私と樺太乃山草」で回想しています
「薄氷の漂う冬の大泊にさすがに肌に応える夜の寒風に曝されて
艀から樺太の雪の街に第一歩を印した時は
些か感傷的にならざるを得なかった」と。
牧野富太郎は高知県出身(1862〜1957)の植物学者です
「日本の植物学の父」と言われ、命名は2500種以上(新種1000、新変種1500)とされ
自らの新種発見も600種余りとされる
多くの植物の命名を行い「雑草という名の植物は無い」という発言を残している
牧野は26歳で工場に出向いて印刷技術を学び、絵は自分で描いた
当時日本にはまだなかった『日本植物志図篇』の刊行を自費で始める
今でいうところの植物図鑑の走りであったという。
練馬区立牧野記念庭園記念館は牧野博士の晩年の居住地および庭を一般公開したもので
書斎と書庫を公開し、庭園には約300種類の草木類が植栽されており学問的にも貴重な
ものと評されています
博士の生涯を紹介する常設展の入り口には、牧野富太郎博士がとりわけ愛した花
壁紙作品バイカオウレンがひときわ目を引きました
博士はこのバイカオウレンに遠く故郷高知を偲んだといわれています
日本人の私たちにとって近くて遠い樺太原産の植物をあらためて眺めてみると
船崎が描いたグラフィックアートの領域の中に質素な「民衆芸術」の系譜を感じます
牧野博士の日本趣味「ジャポニズムの発明」は「素朴主義」「民衆芸術」と融合し
人の手が加わることのない樺太植物は、是の如くであり
新たなレディ・メイド美術の再発見と言っても過言ではありません
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