アメリカを題材にするフォトグラファーは、アメリカの原風景に価値の生成を試み、
歴史を追憶し批判を回顧する。
そんな開拓民スピリットに富み、どこまでも続く乾いたアメリカ開拓民の精神を受け注ぐ
という系譜学的にも通じている。
そういった作品というのは、無骨でアメリカ西部劇的なイメージというのが、私の脳裏に焼き付いていた。
アメリカの原風景に価値を見出したフォトグラファーと言えば、真っ先にアンセル・アダムスが思い浮かばれる。
もはや古典となった名作「ヘルナンデスの月の出」は、この星が惑星であることを、いつも再確認させられる。
そういったアジテーションをサンプリングとして使用するところから、アメリカは現代
アート、現代写真というジャンルを確立し、写真家は=アーティストに祭り上げられる。
失われた時を求めることから、不可逆的概念と情報理論に置き換える混沌なペシミズムというように。
カラー写真の作家ウィリアム・エグルストンは、まさしくその代表だろう。
主題はあるようで無い コンテクスト、直感力の欠いた無秩序な日常写真に認知度が
高まった。
その評価の先にあるのは商業用ダイ トランスファー プリントという印刷機による技術の
立場をアートの領域に持ち込みんだことにある。
その印刷技術を最大限に提示して見せることができたエグルストンの写真に、動因として
評価に繋がり至るのだった。
それをモノクロで表現したのがロバート・アダムスである。
ダブルトーンで表現できなかった、近景と遠景のどっちつかずで主題がフォーカスしかねるモノクロ写真を、技術が進化したことで、印刷により暗部、明部、中間の3種の領域表現が可能となった。
写真は印刷技術と共にルビコン川を渡り、形而上学的に評価を変えていったのだった。
今回、日本の美術館で初となるアレック・ソスの展覧会をまじまじと見る機会に恵まれた
わけだが、
アメリカの歴史的大家に通ずる、大いなる流れを踏襲してることがわかる。
大判カメラを使用したドキュメンタリー撮影の手法を取りながらも、出来上がる写真は
詩的で静謐さを纏ってるのが最大の特徴と言える。
ドキュメンタリー作家と言えばウォーカー・エヴァンスがまず思い浮かぶわけだが、
ウォーカー・エヴァンスほど「権力の点」への固執は見られない。
また、アレック・ソスの写真は主題がはっきりしてるがアルフレッド・スティーグリッツ
のように、見栄え良い被写体を吟味しない。
彼自身の美的な要素に焦点が置かれ、無器量さを恐れることもなく、何故か東洋的な思想も匂わせている。
主題を探してる作家は、自分が最も愛するものは何かを探すのではなく、
自分だけが愛するものは何かを探す
奇妙なものが私たちをとられる
エミリー・ディケンスは斜めの光線、リチャード・セルザーはきらめく腹膜
フォークナーは梨の木に登った少女の泥に汚れたブルマーという具合に。
本を書く アニーディラード著柳沢 由実子/訳
東京 田畑書店 2022.2
こういった写真を学んでいれば、誰もが気づく違いや特徴を、分かりやすく見せているのが
国際的にアレック・ソスの高い評価に繋がってるのだろうと思う。
アレック・ソス Alec Soth 略歴
1969年アメリカ、ミネソタ州ミネアポリス生まれ。同地を拠点に活動し、2004年刊行の『Sleeping by the Mississippi』をはじめ25冊以上の写真集を発表。ジュ・ド・ポーム美術館(パリ、2008年)、ウォーカー・アート・センター(ミネアポリス、2010年)での個展ほか各国での展覧会多数。レーベル「Little Brown Mushroom(LBM)」を主宰し、出版やワークショップ等の活動も行う。 2004年に国際写真家集団マグナム・フォトへ参加、2008年より正会員。
「神奈川県立近代美術館」
アレック・ソスの写真の特徴を詩的で静謐さを纏ってるのが特徴と先ほども書いたが、
もう一つの大きな特徴を見つけた
それはジェンダーレスな写真で性別を感じないことだ。
現代アメリカ社会へのカウンターカルチャーから始まり、スピリチュアル、人生、
マイノリティーからなるテーマが連立し、複数のアイディアからテーマ性を導き出す故に
他ならないからだろう。
本展アレック・ソス Gathered Leavesではカラー写真の他、〈Songbook〉から10点の
モノクロ写真が展示されている。
私が一番目を引いたのがドキュメンタリー映画『Somewhere to Disappear』だった。
〈Broken Manual〉を撮影するソスの旅を追ったドキュメンタリー映画で、
そこに映るアレック・ソスの姿から、彼の思考 彼の視線の先に映る景色が私の心を捉えた
アメリカ合衆国の作家・思想家・詩人・博物学者ヘンリー・デイヴィッド・ソローは
「自分の骨を知れ」と言った
「追跡し、追いつき自分の人生の周囲をぐるぐると回ること、
自分自身の骨を知ること、しゃぶりつき、埋め、また掘り返し、しゃぶりつくのだ」
賢人ソローの言葉が、アメリカ大陸を車で巡り、被写体に導かれるアレック・ソスの姿と
重なって見えたのだった
そこからメイサートンやアニーディラードの詩が私の頭をよぎった。
写真家は限界を知ってるもの
彼もまたエッジで勝負する
限界の先に、理性は尻込みし、詩が飛翔する
ある種の狂気が入ってきて、抵抗したりする
彼は勇敢にそして慎重に、限界を広げることに注意を注ぐ
野生の力はそこに見つけることができるのか。
ティンカー・クリークのほとりで
アニー・ディラード/著 金坂 留美子/訳 くぼた のぞみ/訳
東京 めるくまーる 1991.12
『Somewhere to Disappear』はアレック・ソスという一人の写真家、彼の思考に触れることができる内容となっていた。
写真家の仕事というのは
資本主義に対抗しようとする一つの動きと言えるかもしれない
しかし結局はシステムに取り込まれ、資本主義の肥やしとなるのかもしれない
私たち写真家は「この道しかない」とバイアスで行動してるわけではない
達成のためのガバナンスという諦めや問題定義に固執するわけでなく、本能的な要素や情動が人を突き動かすのも事実なわけで、
アレック・ソスの目に映る 社会批判の新しいパラダイムを築いた、彼のエッセンシャルな部分というのは、
「これには価値があると信じてる目」と、自分事と捉えることができる才能と、
実践での裏ずけにより反映が難しいことからドキュメントという技術技法を選択し、
逃亡劇というパルプフィクションに込められた新鮮な思いなのだ。
写真は野生
写真は熱帯
写真の奥義とは生きる奥義
結果、写真家の仕事というのは、不整脈で、実は非視覚的なものなのだ。
被写体を憐れむ気持ちは、同時に世界を憐れむ気持ちに通じる
アレック・ソスが提示する魂をさらけ出す行為、神話はアメリカ大陸を地図にはない道を
走り巡り鉱脈を発見した。
その秘密の開示方法というのは
できるだけ目と足と耳とで事実と向き合おうとするアレック・ソスの姿勢であり、
シネステジーという半世紀生きて来た我々がふと感じる「やっとこの惑星に慣れてきた」
ことでの自分のあり方を改めて問う事に通じる。
アレック・ソスは写真に宇宙的側面を語らせるという実在の感覚と戯れを生み、
それはまっすぐ現代に届いているという事だった。
アレック・ソス Gathered Leaves Alec Soth: Gathered Leaves
会期:: 2022年6月25日〜10月10日 会場:神奈川県立近代美術館 葉山 住所:神奈川県三浦郡葉山町一色2208-1
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